2010年1月27日

日本の宗教の歴史

日興は、宗祖の本弟子六老僧の1人として積極的な折伏に目覚しい成果をあげ、特に駿河において強力な教団組織を創りあげた。こ

の急速な布教展開は他宗派関係者や鎌倉幕府内権力者の警戒心を招き、1279年(弘安2年)には熱原郷付近の僧俗が徹底的な弾圧を

受け、最終的に3名の農民信徒が殉教を遂げるという事件も起きている(熱原法難)。宗祖日蓮滅後、廟所の六弟子による輪番制が

敷かれたが、戦乱や疫病、遠方の布教活動を理由に日興以外の五弟子が輪番制を放棄。本弟子六老僧の1人の日向の示唆によって地

頭波木井坊六郎実長が謗法行為をして、身延山久遠寺別当職の日興はやむなく身延離山したと、日蓮正宗や日蓮本宗などの日興門

流では主張している。

日興は 1289年(正応2年)に多宝富士山下之坊を開山し、多宝富士山下之坊は現在では富士門流・日興門流発祥の聖地とされてい

る。翌1290年(正応3年)、日興は南条時光の寄進によって富士山の麓に大石寺を開いた。その後長きにわたって、通称として富士

門流または日興門流と呼ばれた「日興の日蓮宗」の流れを汲む諸派は、勝劣派・一致派48本山が戦前の宗教政策により連合した日

蓮宗とは教義的にも宗教行為の交流はないが、学術面での交流を持っており、日蓮宗僧侶が大石寺を訪れることがある。とりわけ

日蓮正宗では現在でも、日蓮の正しい教えが日興 - 日目 - 日道と続く法脈以外には伝わらなかったとして、日朗系などの全ての

他門流、さらには他の富士門流諸派(後世になって日蓮宗と妥協的な態度を取るようになり、大石寺に従わなくなった)までも、

すべて謗法としている。

江戸時代、大石寺は江戸城では独礼席を許され、また第25世の日宥は後水尾天皇の皇孫であり第6代将軍徳川家宣正室の天英院の猶

子(養子)に迎えられている他、皇室や公家・将軍家や大名家などの崇敬を得たが、他の宗派と同様に布教活動は江戸幕府の厳し

い統制を受け続け、加賀藩・仙台藩・伊那・尾張藩・八戸藩などの各地では法難が続発した。なお、金沢法難は身延山久遠寺を総

本山とする一致派日蓮宗の石川県羽咋市・金栄山妙成寺(後に本山)が、加賀藩に虚偽の答申をしたために日蓮正宗が被った法難

で、後に一致派日蓮宗妙成寺は虚偽答申の犯罪行為が露見し閉門蟄居の刑を受けている。このように日蓮正宗が被った法難の殆ど

は身延山久遠寺を本山とする一致派日蓮宗の讒言によって被るに至った例が多い。なお、この金沢法難については郷土史家の向敏

子の著による『金沢法難を尋ねて』に詳しく書かれている。

1868年の明治維新によって、大石寺教団と国家権力との間には新たな緊張関係が生まれた。すなわち、神道の国教化を宗教政策の

根幹とした明治政府は、仏教各派に対しては、行政制度上の統合整理強制によって分割支配をはかる方針を採った。この背景とし

て、日蓮宗管長・新井日薩らによる「全日蓮門下の統合」を目指す画策もあった。大石寺第54世日胤は、1873年に教部省へ「大石

寺一本寺独立願」を提出し、以降も数度にわたって諌暁を繰り返したが遂に容れられず、結果的に1876年より、富士門流の系列に

属する大石寺・下条妙蓮寺・北山本門寺・京都要法寺・小泉久遠寺・保田妙本寺・西山本門寺・伊豆実成寺の八本山は行政上、日

蓮宗興門派(後に日蓮本門宗と改称)として分類され、行政上の宗派代表としての「興門派管長(本門宗管長)」の職は、八本山

が交代で務めるという形を余儀なくされ、1881年-1882年にかけては第55世法主日布が第4代の、1891年-1892年にかけては第56世法

主日応が第5代の管長に就任している。

大石寺派僧俗にとってみれば、大石寺の住職は依然変わりなく法主(ほっす)の地位ではあるが、管長の地位は謗法の人間が占め

ている場合もある、などという、信仰上極めて耐え難い異常事態が続き、教団の存立そのものも危ぶまれる事態となった。しかし

その後、第55世日布・第56世日応と、数度にわたり政府への抗議活動と他の七本山に対する破折活動が続けられた結果、ようやく

1900年、本門宗からの分離独立が認可されて日蓮宗富士派と公称するようになった。そして1912年6月7日、第57世日正の決定によ

り、現在の「日蓮正宗」へと宗派名の変更が行われた。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

日興は日蓮を宗祖とし、日興を派祖とする仏教の宗派の1つです。

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2009年5月20日

多糖と栄養学

多糖と栄養学について考えました。

多糖(たとう、英語: polysaccharide, ポリサッカロイド、ポリサッカライド)とは、単糖分子がグリコシド結合によって多数重合した糖のことである。構成単位となる単糖とは異なる性質を示す。

一般に親水性であり、水を吸着しやすいが、物性は様々であり、水に不溶性のもの(セルロース、キチンなど)と可溶性のもの(デンプン、グリコーゲン、アガロース、ペクチンなど)がある。水中でゲルを作りやすいものが多く、食品または食品添加物(増粘安定剤)として用いられる。いずれも生物による生合成産物として得られ、細胞壁や外骨格(植物のセルロースやペクチン、節足動物や菌類のキチン、藻類のアガロースやカラギーナン)、エネルギー貯蔵物質(デンプン、グリコーゲン)、あるいは微生物が分泌するゲル状物質(キサンタンガム)などとして存在する。

動物はデンプンを消化し(一部はセルロースなども消化する)エネルギー源とする。しかし消化されない多糖も多く、これらは食物繊維として扱われる。

工業的には食品のほか、繊維、製紙、化粧品や歯磨剤等の日用品、接着剤(糊)、医療など広い範囲に利用される重要な物質群である。これらを人工的に改変した物質、例えばセルロースから合成するニトロセルロースやアセチルセルロースなども利用される。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

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